スイスAI展望2026 国産AIの活用進む 差別との闘い・主権確保が課題に
国産AI(人工知能)や医療部門での活用、技術主権――スイスのAI界をとりまく2026年の注目ポイントを専門家に聞いた。
2026年、スイスでは病院や公共機関から中小企業に至るまで、生成型AIが社会の新たな分野に普及しそうだ。連邦政府は、アルゴリズムによる差別のリスクを抑制するための取り組みを進める。
技術主権をめぐる国家間競争が激しくなるにつれ、スイスは AI ガバナンス(統治)に関する国際的な議論の仲介役を務めることになりそうだ。
チューリヒ応用科学大学(ZHAW)でAI・機械学習を研究するティロ・シュタデルマン教授は、2026年にAIがスイスに5つの大きな進歩をもたらすと予想する。
1. スイス製AIモデルの改善
2025年のスイスAI界における最大のニュースは、初のスイス純国産大規模言語モデル(LLM)「アペルトゥス」の誕生だ。多言語対応、完全オープンソースを特徴とするこのLLMは、9月に公開された。
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アペルトゥスは、AI促進策の一環として開発された。2028年まで政府助成金2000万フラン(約40億円)が注ぎ込まれる。2026年も技術的な改善と応用が進み、スイスのAIイノベーションを牽引しそうだ。
シュターデルマン氏は「AIは初めて、トレーニングコードからすべてのトークン(編集注:単語の断片)まで、真にオープンになった。これによりオープンソースが強化されるだけでなく、これまでアメリカや中国のいくつかの研究所のみが独占していた基本的なAIモデルの構築を、スイスのエンジニア数千人が習得できるようになる」と指摘する。
主に企業・研究機関向けに設計されたアペルトゥスは、9月の公開以来100万ダウンロードを達成した。2026年、開発者たちはユーザーにとって最も関連性の高い機能に注力する予定だ。連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ)AIセンターのアレクサンダー・イリッチ所長は「アペルトゥスを中心に、完全なエコシステムを構築したい。それが真に大きな影響を与えるだろう」と意気込む。
だがシュターデルマン氏は、スイス経済がAIによって得る恩恵はアペルトゥスそのものではなく、ニュースにはならないような中小企業や研究機関が関与する数百の取り組みから生まれると指摘する。
同氏はその例として、AIを活用して文化イベントのライブ配信を目指すチューリヒのスタートアップ企業を挙げた。これはいわば「舞台芸術版Netflix」のようなプロジェクトで、成功すればスイスに新たなメディアプラットフォームが誕生する可能性がある。「こうしたプロジェクトこそが、価値と雇用を生み出す可能性を最も秘めている」とシュターデルマン氏は語る。
2. 病院のAI活用
アペルトゥスを基盤として、医療分野に特化したAIが誕生する。ローザンヌ大学病院(CHUV)は2026年5月に、医療従事者の臨床判断を支援するLLM「メディトロン(Meditron)」の試験運用を開始する。手始めは救急部門だ。
2025年には、300人以上の医療専門家が仮想的な臨床症例を用いてメディトロンの評価に当たった。参加したノエミ・ブランコ・ボワラ医師は「評価者数の多さは、この技術への強い関心を示すと同時に、懐疑的な見方が存在することも物語っている」と言う。同氏は、CHUVのAI導入を統括する生物医学データサイエンスセンターと協力関係にある。
メディトロンのコーディネーターを務めるスイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)のメアリー・アン・ハートリー教授によると、医療現場で使用されている多くの市販LLMは、プライバシー保護の理由から患者の機密データを使った学習ができず、信頼性が低いことが分かっている。だがメディトロンの開発に携わる複数の国の医師の7割以上が、既にChatGPTなどのAIツールを臨床で使用しているという。
オープンソースモデルの主な利点は、病院固有のニーズに合わせて調整しローカルで実行できるため、機密性の高い患者データを外部サーバーに送信することなく利用できることだ。「オープンモデルにより、プライバシーを侵害することなく、より多くの文脈情報を提供し、回答の質を向上させることができる」(ハートリー氏)
3. 技術主権
不安定な地政学的環境や予測不可能な米トランプ政権の動向を背景に、2025年にはスイスや欧州で技術主権が重要な政治課題に上った。
シュターデルマン氏は「スイス政府は、基本的なインフラの運営を他国に依存するのは得策ではないと認識している」と指摘し、ほとんどのデジタルツールが他国に拠点を置く企業によって運営されているという事実に触れた。
スイス政府は2026年に安全保障および外交政策上のリスクをまとめ、是正措置を提案する方針外部リンクだ。政府は既に今月、行政部門におけるAI利用のガイドライン外部リンクを発表した。アメリカなど単一のサプライヤーへの依存を減らし、デジタルインフラとデータに対する管理を強化することを目指している。
アペルトゥスのようなプロジェクトはこうした指針に適合しているが、大きな矛盾もある。シュターデルマン氏は「技術主権について議論を進めながらも、なお少数の大手外国企業に依存している」 とみる。
連邦政府は米マイクロソフトのライセンス更新に2年間で1億4000万フランを支払う。プロバイダーの変更は「リスクが高く、費用もかかりすぎる」との判断だが、政府はより良い代替案を模索している。
4. AI差別
EUは個人にとってリスクが高いとみなされるAIシステムに厳格な要件を課すAI規則を採択したが、スイスは悩みつつも、同様の一般法を導入しないことを決定した。代わりに、欧州評議会の人工知能条約外部リンクに批准し、それに応じて国内法を改正する。当局は2026年末までにヘルスケアや自律移動などの分野で、拘束力のないものも含め関連対策を策定する。
職員採用や融資の審査などでAIの活用が広がるにつれ、アルゴリズムによる差別のリスクが高まっている。AIの回答が偏っていたり不公平だったりして、特定の個人や集団に不利益をもたらす可能性がある。エリサベット・ボーム・シュナイダー内務相はスイスインフォに対し、スイスは今後1年間、AIの生む差別からスイス国民を守るための取り組みを進めると語った。
シュターデルマン氏は、社会に大きな変化をもたらすあらゆるイノベーションは規制されるべきだとの見解だ。だが、法律は主にビジネスモデルに焦点を当てるべきだとみる。「社会にとって最大のリスクはテクノロジーそのものではなく、AIを用いて人々の関心を最大化し、中毒性を生み出す利益モデルだ」。SNSはAIアルゴリズムを用いて若者を惹きつけ、悪影響を及ぼしているという。
5. 2027年のジュネーブAIサミット視野
スイスは2027年にジュネーブで「AIアクションサミット」を主催する。スイスが技術的ガバナンスのリーダーとしての地位を確立するという野心がある。開催地としてジュネーブが選ばれたのは偶然ではなく、多くの国際機関が拠点を置き、長年にわたり国際的な調停の中心地となってきたという背景がある。サミット開催を主導したアルベルト・レシュティ通信相は「スイスはどのように世界に貢献できるか示す必要がある」と強調する。
開催準備は2026年早々に始まり、費用も発表される見込みだ。スイスは既にインドと協力し、2026年2月末にニューデリーで開催されるサミットに向けて備えを進める。
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シュターデルマン氏は、ジュネーブ・サミットが技術規制の枠を超え、AI時代における人間の尊厳と自律性、社会的なつながりの質の保護に焦点を当てた世界的な枠組みを推進する機会となると指摘する。「スイスは中立性と人道的伝統のおかげで、ジュネーブ諸条約と同様、様々な利害関係者を結集することができる」
編集:Gabe Bullard、英語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正: 大野瑠衣子
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